Bicentennial Initiatives
歴史を礎に、未来をつくる

角文の歴史を探しに、株式会社サンコーを訪ねて 

1902年(明治35年)17歳で家督を継いだ角文3代目鈴木三郎には、事業面で彼を支えた人が数多くいました。その一人である加藤庄太郎氏について話を伺うため、2023年7月25日、鈴木文三郎社長と鈴木ゆかり取締役は、株式会社サンコーを訪ねました。

株式会社サンコーは、住宅資材や住宅設備の販売にとどまらず、支援・提案・工事・建築・管理・保証・保険・金融など、豊かな住環境づくりをトータルに手掛けている企業。1939年(昭和14年)加藤庄太郎氏によって、愛知県碧海郡富士松村(現・刈谷市泉田町)で創業されました。現在は名古屋市中川区に本社を構え、庄太郎氏の孫にあたる加藤秀司氏が社長を務めています。

取材にあたり、加藤秀司氏が持参されたのは1冊の分厚いアルバム。「祖父は私が生まれる前に亡くなっているので、祖父について知る唯一の手がかりと言っていいのがこれなのです」と見せてくださったアルバムは、父・達也氏が作成したもの。写真とともに庄太郎氏の歩んだ人生が詳細に記録されていました。

角文での19年間を財産に、材木商として独立。

加藤庄太郎氏は、1905年(明治38年)愛知県碧海郡境村西境(現・刈谷市西境町)で生まれ、1920年(大正9年)角文材木店に入社。1930年(昭和5年)に結婚し、角文材木店の社宅にて所帯を持ちました。1939年(昭和14年)角文材木店を退職し、愛知県碧海郡富士松村(現・愛知県刈谷市泉田町)で材木商として独立。その2年後に「木材統制法」により国内での自由営業が禁止されたため、1942年(昭和17年)中国南京へ渡り、原木の調達事業を営む「新協洋行」を設立しました。終戦により事業継続が不可能となり私財は没収。1946年(昭和21年)無一文で帰国しますが、名古屋市中川区日置町で再び木材販売の商売を始めました。この開業資金となったのは、庄太郎氏が角文から退職金として譲り受けていた刈谷の土地と一軒家。「サンコーのルーツは角文さんと言っても過言ではありません」と秀司氏が語るように、ここで再び加藤家と角文の縁が繋がったのです。

加藤家と角文との絆は、未来へと受け継がれていく。

アルバムには、刈谷の家の間取りも詳細に記録されており、文三郎社長とゆかり取締役はそれを見ながら「ここは今、駐車場になっているね」「この隣の家には、誰々が住んでいたね」と昔を偲び、懐かしく語るとともに、加藤家との不思議な縁をしみじみと感じていました。

木材の目利きに優れ、真面目で義理堅く、信頼できる人だった庄太郎氏は、その後も堅実に事業を成長させていきますが、1957年(昭和32年)7月、51歳という若さで亡くなられました。奇しくも文三郎社長が生まれたのはその年の8月。ここでも加藤家との縁を感じます。文三郎社長は、「角文の歴史を振り返るとき、なぜか加藤庄太郎さんのことが気になって仕方がなかった。その理由が、今回の取材でわかった気がします」と語りました。

加藤秀司氏、文三郎社長、ゆかり取締役の3人は、互いの会社の事業内容についての話題でも盛り上がり、「今後は一緒に仕事ができれば嬉しいですね」と意気投合。今回の取材を通して親交を深めていきました。加藤庄太郎氏によって再び紡がれたサンコーと角文の絆は、未来へと受け継がれてきます。