「角文株式会社 200年史」発刊のお知らせ
弊社創業200周年記念事業の一環として、「角文株式会社 200年史」を発刊させていただきました。
関係資料の収集及び関係先への取材を行い、創業から現在までの足跡を記録として留め、さらに角文の将来ビジョンを内外に示したものとなっております。
この度、200年史から一部内容を公開させていただきます。
・角文創業200周年記念特別対談(福井県黒龍酒造・水野社長を訪ねて)
革新の積み重ねが、
伝統になる。
黒龍酒造の創業は、1804年(文化元年)。角文の創業は、1823年(文政6年)。
200年企業を承継した二人が語る、守るもの、変えるべきものとは。
「ESHIKOTO」を舞台に、
経営者として大切にしていること、故郷に対する想い、
そして、事業を未来へ繋ぐためのビジョンなどについて語り合った。
27年前、日本青年会議所での「邂逅(かいこう)」
鈴木
水野さんとの出会いは、1996年。当時、私が委員長を務めていた日本青年会議所(日本JC)の国際協力教育プログラム委員会に水野さんも出向されており、交流が始まりました。
水野
日本JCには、鈴木さんをはじめ魅力的で個性豊かな方がたくさんいらっしゃって、とても刺激的だったことを覚えています。
鈴木
私が所属していた刈谷JCと、水野さんが所属されていた福井JCはなぜか気が合って、互いに行ったり来たりしながら旧交を温め、現在まで縁が続いていますよね。
水野
グッと近い関係になれたのは、「ジュニアワールドゲーム」の活動がきっかけだったような気がします。
鈴木
そうですね。国際協力教育プログラム委員会では、北海道から九州まで全国35カ所で小学校高学年の児童を対象に「ジュニアワールドゲーム」を開催していました。水野さんにも何カ所か行っていただきましたね。
水野
日本各地を訪れ、さまざまな人たちと出会い、共に活動したJCでの経験は、すべて今に繋がっていると感じています。人と人とのネットワークも随分広がりました。
鈴木
私も、いろいろな地域の美味しい食べ物や美しい風景、文化などに触れたことで、あらためて日本の素晴らしさを実感することができました。ある秋の夕暮れ、機上から見た秋田の田園風景の美しさは、今も鮮明に覚えています。
守っていくもの、
変えていくもの「不易流行」
鈴木
日本の素晴らしさといえば、黒龍酒造さんは、200年以上にわたり日本酒を造り続けています。この伝統を守る上で大切にしてきたことは何でしょうか。
水野
「時代に合った良いお酒を造りなさい」という初代からの言葉です。時代によって社会や環境は変化し、生活の豊かさの概念も変わってきています。そうした中で、蔵元として変わらず取り組んできたのは、お客さまに喜んでもらえるお酒を造り続けることでした。そして、そのためには変化も必要でした。先代の父は、燗酒が主流だった時代に、冷やして味わう新しい日本酒の飲み方を提案し、冷酒文化の普及に力を注ぎました。こうしてチャレンジしながら、自分たちの生きる時代を模索していたのです。
鈴木
「黒龍 大吟醸 龍」を、一升瓶で1975年当時、通常の日本酒の2倍の5,000円で発売したことも印象的でした。これをきっかけに、黒龍というブランドが確立されたのではありませんか。
水野
そうですね、これを機に黒龍酒造の名は全国に広まったと思います。そして今では、日本のみならず、さまざまな国の人が日本酒を楽しむ時代になっています。そこで、いろんなタイプの商品を造った方が、日本酒の魅力をより多くの人に伝えられるのではないかと考え、今も少しずつ進化させています。「九頭龍」ブランドを立ち上げたのもその一つです。
鈴木
燗酒の良さに再注目したお酒ですね。
水野
今なら逆に新しいスタイルの飲み方として提案できるのではと思い、燗酒のブランドを立ち上げました。「ハレとケ」という言葉がありますが、ハレの日を演出する高級酒が黒龍、日常で味わうケのお酒が九頭龍、というコンセプトで展開しています。
鈴木
燗酒を楽しむための道具も開発されていますよね。
水野
酒燗具「燗たのし」ですね。日本酒は、電子レンジで温めるより湯煎して温めたほうが口当たりが優しくなり、香りも抜けにくく美味しいんです。これを気軽に楽しんでいただけるよう、越前漆器の伝統技術を活かし、江戸時代に湯煎していた道具をモチーフに考案しました。
鈴木
お酒を温めるプロセスも楽しめますね。飲む前のワクワク感も演出できます。
水野
これからは「時間」を楽しむ時代になると思っています。最近は、体験を売るということをテーマに、新しい商品開発をしているところです。
鈴木
理念は変えず、手法は変えていく。その考え方は、角文の企業精神である「不易流行」にも通じます。例えば、1993年に角文が日本で初めて発売した「一般定期借地権付分譲マンション」。土地は地主さんから借りて建物だけを購入するという、当時では画期的な販売方式でした。上質な住まいを低価格で提供できるメリットがある一方、借地の確保が難しいという課題がありましたが、地元で長年築いてきた信用のおかげで地主さんから「角文なら土地を貸しても大丈夫だ」と言っていただき、新事業を成功させることができました。今も「地域に密着し、お客さまを大切にする」という変わらない理念を持ち、それを実現するために新しいことに挑戦し続けています。
水野
まさに「不易流行」ですね。ESHIKOTOを建設する際も、地元住民の方に「この地で長く酒を造ってきた会社なら」とご理解いただき、こんなに広い土地を譲り受けることができました。
鈴木
歴史があるから新しいことに挑戦できる。それはお互いに感じるところですね。
水野
革新を繰り返すことは、企業を長く存続させるための重要な要素であると思っています。そして、継続することで、最終的には伝統という形になっていく。
鈴木
時代に流されることのない理念を持ちつつ、新しいビジネスモデルを生み出していく。その積み重ねが、企業の歴史になっていくんですよね。
大切にしている「言葉」と「仲間」
鈴木
会社を経営する上で、私は「衆知独裁」という言葉を大切にしています。「衆知独裁」とは、“社内社外を問わず、謙虚な姿勢でさまざまな知恵を集め、それらをもとに最終的な判断は経営者が責任を持って行う”という意味です。部下を信頼して自主性を育てる、人材育成にも繋がる言葉だと思っています。
水野
私は、感動・感謝・感激、「三感」を大切にしています。お客さまが「感動」する商品やサービスをお届けする。すべての人たちに「感謝」する心を忘れない。社員が「感激」する仕事の場を提供する。この「三感」を意識して、会社づくりに取り組んできました。
鈴木
そうした水野さんのご活躍は、新聞や雑誌、SNSなどでいつも拝見しています。未来のこと、地域のことを考えて活動されている姿には、すごく刺激を受けています。建築と日本酒はあまり関係ないように思えますが、地鎮祭や竣工式では必ず神主さんに来ていただき、お神酒を献上しています。建築に日本酒は欠かせないものなんですよね。また、鈴木家の古文書には、日本酒を詰める杉樽を造っていたという記録も残っており、個人的にも縁を感じています。
水野
私は、鈴木さんをはじめ、仲間の存在を心強く思っています。世界的に見ても日本は100年企業が多く、これから世界における日本の老舗企業の役割は増えてくる気がします。世界が求めている商品やサービスを生み出すためには、非常にパワーが必要です。一人では無理なので、これからも皆さんから刺激をいただき、お力をお借りしていきたい。こうして多くの方に支えられて会社は成長していくのだと感じる年齢になってきました。
ESHIKOTOの「先にあるもの」
鈴木
今回、対談場所として利用させていただいている臥龍棟(がりゅうとう)は素晴らしい建物ですね。
水野
私は建築がとても好きで、いろいろな場所に行って建築物を見ることが趣味の一つになっています。すると、古いものの良さがどんどんわかるようになってきて。15年ぐらい前からは、古民家や福井の笏谷石(しゃくだにいし)など、石や古材を収集するようになりました。最終的にはそれらを活かしたいと思うようになり、臥龍棟にも使用しています。
鈴木
臥龍棟がある観光施設「ESHIKOTO」は、どのような思いでつくられたのでしょうか。
水野
フランスやアメリカのワイナリーのように、風土や食、人との出会いを楽しむツーリズムを地元・福井から発信したいと思い、「ESHIKOTOプロジェクト」を立ち上げました。
鈴木
現在は、臥龍棟の他に、お酒と食事を楽しめる「酒樂棟(しゅらくとう)」の2棟が完成していますね。オーベルジュも建設予定と伺いましたが、今後はどのように展開されていくのでしょうか。
水野
今後は、施設の新設のみならず、敷地も拡大していく予定です。よく「完成はいつですか?」と聞かれるのですが、毎回「完成はないんです」と答えています。ESHIKOTOプロジェクトは、私の代で終わらせようとは考えていません。ここは季節ごとにさまざまな風景を見せてくれますし、新しい建物やものが増えています。「訪れるたびにどんどん変わっている」そんな楽しみをお客さまに提供し続けたいのです。
鈴木
それで、ESHIKOTOには、「永遠に続く」という意味が込められているのですね。
水野
はい。プロジェクトのコンセプトと目的だけは次世代に伝え、やり方はその時代に合わせて後継者が自由に考えていけばいいと思っています。
鈴木
新しい施設やサービスを生み出すことは、とても夢がありますよね。オーベルジュの完成も楽しみにしています。
水野
ESHIKOTOは、「酒」というカテゴリーにとどまらず、「食」「文化」にまで広げ、地元ならではの新しい魅力を生み出す場所にしていきたいですね。
福井と刈谷。それぞれの「地元」に対する想い
鈴木
地元への貢献という側面では、私どもは豊田市足助町に約235ヘクタールの山を所有しているのですが、活動面積は約114ヘクタールと半分ほどで、社員や社員の家族と一緒に間伐をしたり植林をしたりしています。山の整備は10年20年でできるものではありません。「300年の森づくり構想」を立ち上げ、300年先を見据えた森づくり山づくりをコツコツと続けています。
水野
私たちは、200年ずっと同じ場所でお酒を造っています。酒造りには、きれいな水と空気が必要です。地元の自然環境を守ることも私たちの使命だと考えております。そして、我々だけでなく地元の方と協力しながら、地域に貢献できるよう取り組んでいかなくてはなりません。地元との信頼関係を築くことは、企業価値を高めることにも繋がると思っています。
鈴木
愛知県刈谷市や安城市では今、中心市街地の活性化を図るための再開発事業が進んでいます。角文は「コンパクトシティ」をコンセプトに掲げ、スーパーやカフェ、保育園、デイサービス、病院など、生活に必要な機能が近接した効率的で持続可能な都市づくりに取り組んでいます。また、この構想では、生活に必要な施設を徒歩圏内に配置し、できるだけ地元の商店や企業に参加していただきたいと考えています。少子高齢社会を見据えた、地域のためのまちづくりは、私たちの使命ですから。そして、地域に受け入れられる存在であり続けることは、会社の未来にも繋がっていくと思います。
会社を未来へ引き継いでいくための「ビジョン」
水野
亡くなった父からは、「石田屋(いしだや)という屋号を次に繋ぎなさい」と言われてきました。それは、売上を伸ばして会社を大きくすることではなく、石田屋という“理(ことわり)”をちゃんと引き継ぎなさいということ。“理”を次世代に繋いでいくことが、継承する上でとても重要なことだと考えています。
鈴木
私は、企業経営は年輪のようだと思っています。臥龍棟には樹齢200年という素晴らしい木がありますが、年輪を見るとこの木のたどってきた歴史がなんとなく感じられますよね。一気に大きくなりすぎると必ずどこかで綻びが出てきます。企業も同じで、地道に一歩ずつ成長していくことが大事。「地域に必要とされ、若い人たちが働きたくなるような企業になる」そういった姿勢も、年輪経営に繋がっていくのだと思います。
福井・美山産の巨大な一本杉。臥龍棟の設計が決まる以前に、水野氏が自ら森に入って探し当てていた。黒龍酒造と同様に200年の時を重ねた年輪が刻まれている。
水野
ありがたいことに、お酒は世界中にビジネスチャンスがあります。飲酒を禁止されている国でも観光地やホテルなどでは、お酒の需要があります。こうした事情を背景に、いま何が必要とされているのか繰り返し考えながら、時代時代にあったお酒を提供し続けたいと思います。
鈴木
私は、人と人との出会い「邂逅」という言葉が好きなのですが、水野さんとの出会いももちろんそうですし、いろんな場所に出向いて、いろんな方と出会い、いろんなアドバイスをいただくことが、経営者としての先見性に繋がると思っています。また、会社の中でじっとしているのではなく、さまざまなことを経験することが、巡り巡って自分の、そして会社の成長に繋がると実感しています。そして、今回の対談もその貴重な経験の一つとなりました。200年企業の経営者として新たな一歩を踏み出す私にとって、力強い後押しになったと思います。誠にありがとうございました。
水野
貴重な時間をありがとうございました。またお会いできることを楽しみにしています。