Bicentennial Initiatives
歴史を礎に、未来をつくる

角文のキーパーソン 鵜飼氏に聞く

角文は近年、刈谷の『GINZA TREE+』、安城の『DENCITY』といった複合施設の建設を通して、コンパクトシティの実現をめざしています。そのプロジェクトに欠かせないパートナーが、建築家の鵜飼哲矢氏。角文との出会い、共に取り組んだプロジェクト、そして角文との絆についてお話を伺いました。

角文との出会いからお聞かせください

角文さんと初めて一緒に仕事をしたのは、2001年(平成13年)。刈谷市の老舗文具会社・表屋の社屋『オモテヤプラザ』の施工を依頼したことが始まりでした。複雑な設計で、施工が技術的に難しい案件だったのですが、角文さんには非常にいい仕事をしていただいた印象があります。おかげさまで『オモテヤプラザ』は、2002年(平成14年)のグッドデザイン賞を受賞。鵜飼哲矢事務所もテナントとして入居している思い出深い案件です。そして、その3年後の2004年(平成16年)、角文さんとは『刈谷ハイウェイオアシス』建設プロジェクトで再びタッグを組むことになりました。

刈谷ハイウェイオアシスで、一緒に仕事をした際の角文の印象は?

私は、施設のデザイン・設計を担当。施工は、地元刈谷市の建設会社で構成された「かきつばたJV(角文建設、近藤組、アイシン開発、白半建設、関興業)」が担当し、角文さんが施工責任者を務めました。

2004年(平成16年)4月に起工式を行い、12月にグランドオープンをめざす厳しいスケジュール。さらに、地形は複雑で、盛土があり、高速道路が通る。建物の耐震性は1.25倍で設計。しかも、まち並みのように建物を点在させるというコンセプトだったので、同時多発的に建物を建設しなくてはならない。こうした非常に難しい条件のもと、角文さんはリーダーシップを発揮し、何百人という職人さんをまとめ上げてくれました。

また私は、「もっと良いものにしたい」という思いから、現場でも意見や要望を出してしまうのですが、角文さんは私の熱い思いを理解して「わかりました、やってみましょう」と前向きに対応してくれました。「ものづくりに真摯。地元刈谷のためにより良いものをつくりたい」角文さんのこうした姿勢に強く共感したことを今でも覚えています。

刈谷市銀座AB地区開発

『GINZA TREE+』プロジェクトについて

「刈谷市銀座3丁目に、人が自由に行き交う新しいまちをつくろう」をコンセプトにチームでアイデアを出し合うなか、郷土史に詳しい鈴木社長の「このあたりはもともと城下町だった」という話から、「立体城下町」という発想が生まれました。

このプロジェクトで鈴木社長に一番感謝しているのは、「まちが変わったというになるようなデザインにしたい」という私の思いを理解してくださったことです。私が設計したのは、上に向かって戸数が少なくなっていく尖塔型マンション。コストを優先するのなら、四角いタワーマンションを採用したいはず。「コスト面で厳しくても、地域のみなさんに喜んでもらえる建物にしたい」という鈴木社長の熱意は、チーム全体の士気を後押ししました。

タワーマンションについてまわる日照問題については、春夏秋冬あらゆる時間帯をシミュレーションしたデータと模型を製作し、私と角文の神谷常務がその模型を風呂敷に包んで持ち歩き、近隣の住宅を一軒一軒訪ねて「日照やビル風は問題ありません。皆さんにとって必ず良いまちになります」とコンセプトを丁寧に説明しました。

最後には反対する声は一つもなく、むしろ完成が楽しみだと言っていただけるまでに。「刈谷を良くしたい」「地域に貢献したい」という情熱で無事に完遂した『GINZA TREE+』プロジェクト。角文さんをパートナーに、力を合わせて取り組んだ初めての大きな事業は、私にとっても非常に思い出深いものとなっています。

安城南明治市有地有効活用事業

『DENCITY』について

安城南明治市有地有効活用事業『DENCITY』は、角文さんと再び一緒に挑んだコンペです。『GINZA TREE+』よりさらに規模が大きい、大型プロジェクトでした。このときは私も説明会から参加したのですが、そこで驚いたのは鈴木社長のスピーディーな行動力でした。説明会を終えて昼食をとっている時に、碧海信用金庫さんと東祥(ABホテル)さんに連絡を入れてプロジェクトへの参加を取り付けたり、『DENCITY』というネーミングを思いついたり。このスピード感に、私はすでに勝利への手応えを感じていました。

『DENCITY』のコンセプトは、暮らしに必要な施設をひとつに束ね、コンパクトシティをつくる複合一体再開発。「住宅」「オフィス」「ホテル」の3つの大きなゾーンで構成されています。『DENCITY』の敷地中央には、ゆったりとした広場「コミュニティスクエア」を設置。住人やお子さま同士のコミュニケーションを育み、定期的なマルシェなど活気あふれるイベントも開催できるスペースです。

『DENCITY』の姿は新幹線からもよく見えます。「あそこが安城の中心地だね」というランドマークになり、ここに住む方のふるさとの原風景になれば嬉しく思います。

アティックアートという新しい絆

角文の鈴木社長とは、アティックアートを通しても交流があります。アティックアートとは、障がいがありながらも素晴らしい絵の才能を持つ人たちを支援する活動のことで、最初は「だんだんボックス」という名で活動していました。障がいがありながらも素晴らしい絵の才能を持つアーティストたちの作品を段ボールの箱に印刷し、「だんだんボックス」と名付けたその段ボールを販売することによって彼らをサポートしていました。

今から10年前、アティックアートについて鈴木社長にお話ししたところ、強く賛同していただき、卓上カレンダーや刈谷市内を走る公共バスの装飾、工事用フェンス、ティッシュボックスなどさまざまなノベルティグッズのデザインに採用することで障がい者の支援をしていただいています。さらに、原画も多く購入していただき、今では200点以上の作品を所有するまでの支援者となっています。2023年(令和5年)には、創業200周年記念事業の一つとして、刈谷市美術館でアティックアート美術展を開催されました。美術館で、作家ごとに部屋を設けて展示するなんて、本当にすごいことです。仕事と同じ熱量と情熱をもって社会貢献に取り組める方なのだと、あらためて尊敬します。